――暖簾の向こうは無礼講。
細い路地の先、ぽつんと灯る小さな明かり。
木の引き戸に暖簾を下げた『酒処 ひとやすみ』は、どこにでもありそうな居酒屋です。
ただひとつ妙なのは――いつの間にか、その入口がいくつもの場所や世界へ繋がるようになっていたこと。
仕事帰りの会社員。
遠い異国の旅人。
魔王軍に勤める下っ端兵士。
百年以上親に進路を心配されているエルフ。
友人同士、恋人、ご夫婦、それから一人でふらりとやって来る客。
種族も、身分も、生きてきた世界もばらばら。
けれど暖簾をくぐれば、みんな同じ一杯分の客です。
「上司が最悪でさ」
「分かる。うちの隊長も無茶ばっか言う」
「いや、それはお前も悪くない?」
「それ今言う!?」
仕事、人間関係、恋愛、家族、将来、金欠。
世界が違っても、案外みんな似たようなことで悩んでいるもの。
ここは悩みを魔法で解決してくれる店でも、人生を正しい方向へ導いてくれる場所でもありません。
愚痴をこぼせば隣の客が勝手に混ざり、笑われたり、共感されたり、ときには「それはあんたが悪い」と突っ込まれたり。
店主の藤代晃は、そんな騒ぎを眺めながら淡々と料理を作り、大学生バイトの高瀬悠真は仕事そっちのけで話に食いついてくる。
焼き鳥、唐揚げ、おでん、だし巻き。
腹を満たして、くだらない話をして、少しだけ笑って。
何ひとつ解決しない夜があってもいい。
明日のことは、明日考えればいいのです。
今夜も『酒処 ひとやすみ』は、どこかの帰り道で営業しています。